静岡県清水市清水区
「清水次郎長生家」は幕末の侠客次郎長が生まれ育った家として、地元の人や全国のファンに愛され続けてきました。しかし老朽化が激しく存続が危ぶまれていました。そこで耐震住宅100%実行委員会が2014年に開催した「あなたの残したい建物コンテスト」に応募。見事グランプリに輝きました。200年前の歴史的価値のある建物を、現代に、そして未来に受け継ぐために、専門家が集まり困難な耐震改修工事を経て、次郎長の生誕から約200年を経た2017年7月に生まれ変わりました。そして、2018年3月に「国土の歴史的景観に寄与している」として、国の登録有形文化財に登録され、2018年6月には所有されている子孫の方から「生家を次世代に残し、地域のために役立ててほしい」と静岡市清水区へ寄贈されました。既存の間取りや歴史を重ねた雰囲気をそのままに、壁を増やすことなく耐震性を上げるという、新たな耐震改修の形によって完成した次郎長生家。
清水区から全国へ、耐震化の運動を広げていくプロジェクトをご紹介します。
清水次郎長(しみずのじろちょう)は文政3年(1820年)に現在の静岡市清水区(旧駿河国有渡郡清水)の船持ち船頭の家に生まれ、幕末から明治にかけて侠客として知られました。清水一家二十八人衆を率いて、地元清水はもとより、東は現在の東京から西は滋賀までその名を轟かせ、勝海舟や江戸幕府最後の将軍である徳川慶喜らと親交があったと言われています。
明治時代になると、次郎長は地域の開墾や清水港の発展にも大きく寄与し、静岡県の茶処としての反映にも一役買った立役者として、その功績が後世まで語り継がれています。
そんな清水の英雄次郎長の生家が、200年の年月を経て今なお清水区内に現存しています。廻船問屋の風情を感じさせる木造平屋の日本家屋は、庶民の味方であった次郎長の存在を感じることのできる心の拠り所として、地元の方々をはじめ、全国の次郎長ファンが訪れる観光名所です。
http://www.stada.jp
http://akiyamakensetsu.co.jp
https://blog.goo.ne.jp/takahirotaisin
https://www.ncn-se.co.jp
9月 残したい建物募集
12月 グランプリ決定
耐震住宅100%実行委員会が主催する「あなたの残したい建物コンテスト」の応募を開始。全国から420件の応募が集まり、厳選された8物件の中からfacebookの一般投票によって清水次郎長生家が大賞に選ばれた。
6月 活かす会発足
7-10月 現況リサーチ
耐震住宅100%実行委員会とNPO法人の次郎長生家を活かすまちづくりの会を中心に、伝統工法家屋修復の専門家、耐震建築を施工する工務店など、多くの有志の方々によってプロジェクトチームが発足され次郎長生家の現況を視察して改修方針について意見交換会が開かれた。
1-2月 業者選定
3-4月 基本設計
6-7月 実施設計
クラウドファウンディングサイト「JAPANGIVING」にて、改修資金の支援を集う「清水次郎長の生家を後世に残そう!」プロジェクトが開始。190人の支援者と570万円以上の資金を集めた。同時に多くの専門家を迎えて耐震改修の計画が進められた。
1-2月 着工・SE構法基礎工事
6-7月 竣工・落成式
地元のテレビ局や新聞社など多くの参列者に見守れながら1月10日に起工式が執り行われ、改修工事がスタート。構想から4年、着工から半年以上の大工事を経て、7月8日にリニューアルオープンを祝う落成式が執り行われた。
清水発展の立役者である次郎長の生家であること、また幕末期の商家が残されているという事は歴史的にも建築的にもその価値は大変高く、また、屋根に使われている清水瓦は失われた地場産業を世に伝える、という資料的にも大変重要な存在なので、既存の清水瓦と外装材も使用可能な既存剤の再利用を行う。
多くの来館者が訪れるので老朽化に対しての安全性確保と、後世に伝えるという意味においても、重要となる耐震性の向上の観点から、躯体に「耐震構法SE構法」を使用する。
改修によって2階部分に広い空間をつくることで、地域に開かれた施設として使用が可能となり、街の活性化へ寄与する。
壁を解体し柱と梁の状態にすることで、創建当時の姿を想定しました。
解体、調査で得た情報や専門家の意見から改修工事内容を検討しました。
土台が傾いていたので建物をジャッキで持ち上げ、新たに基礎を作りました。
柱や梁の部材で腐敗や白蟻被害で取り除いた部分を、新たな木材で補いました。
かつての地場産業であった清水瓦。1枚ずつ洗浄、打診検査をして再利用しました。
壁は乾式土壁で補強。接ぎ木、埋め木をした柱や梁を特別調合「次郎長古色」で塗装。